Book Review 01 by NAOKI IIJIMA/Iijima Design

眼と精神 (M. メルロ=ポンティ著) | 磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院

 
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ここに書かれていたことは、私にとって空間への奥底深いイメージの提示だった

— Naoki Iijima / Iijima Design

photography: Iijima Design words : Reiji Yamakura/IDREIT

 
 

外出のままならない昨今、普段の生活ではなかなか手に取ることのできなかった書籍や映画からインスピレーションを得ようという方は多いのではないでしょうか。そこで、IDREIT 日本版では、インテリアデザインの世界の真っただ中で過ごしてきた方々におすすめの1冊を聞く新連載「Book Review」を始めます。

初回は、文学から映画、アートまで、古今を問わず情報を採り入れている飯島直樹デザイン室の飯島直樹さんに、いま、デザイナーが読んでおくべき1冊を尋ねました。


「眼と精神」モーリス・メルロ=ポンティ著  滝浦静雄・木田元訳(みすず書房)

「眼と精神」モーリス・メルロ=ポンティ著 滝浦静雄・木田元訳(みすず書房)

 

こんにちは。本当は1冊を紹介してほしいというリクエストだったのですが、どうしてもセットで紹介したくて、今日は私がおすすめしたい2冊を用意しました。

一つは、現象学でよく知られるフランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティ の遺作「眼と精神」(みすず書房/滝浦静雄・木田元訳)。そんな西洋哲学の本をまるまる一冊なんて読めないよ、と言われると思うのですが、「眼と精神」の本文は、この本の中でおよそ3mmくらいの量です。ちょっと頑張れば読めるから心配しないで(笑)。 

私が読んだのは、1972年頃。なぜわかるかというと、「ジョニーは戦場へ行った」という映画で見た“身体”のことが頭を離れなくて、この本の余白にそんなことの書き込みがあるんです。当時、私は大学4年くらいでした。

あの頃を振り返ると、三島由紀夫と東大全共闘の討論があったのが1970年。今までのものに対して、ちゃぶ台返しするのがかっこいいという時代ですね。でも、ちゃぶ台返しって言うとかっこ悪いから、みな現象学や構造主義の本を読んだりして理論的に武装していました。

 
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20代の頃に「眼と精神」読み込んだ証しが、ページのところどころに残っている。

20代の頃に「眼と精神」読み込んだ証しが、ページのところどころに残っている。

 

そのもう少し後で、記憶に残っている1冊に、ガストン・バシュラールの「瞬間と持続」(新装版では「瞬間の直観」に改題)があります。これは、1975年に私がスーパーポテトに入ろうとする面接で杉本貴志さんから、この本についてどう思うかを聞かれて議論したことを覚えています。1970年代は、杉本さんにも、また、私の頭の中にも「通念を断ち切って、すべてをゼロの状態に差し戻そう。いまの瞬間こそが大切で、そうした価値観を空間デザインに投じる」という考え方があったように思います。 

「眼と精神」に話を戻すと、この現象学者による論文を今でさえ、まともに理解できたとは思いません。難解な表現が続出する禅問答みたいなものです。それでも、なんとか読みました。そうして、ジャクソン・ポロックの抽象画を見た時のように、充満するイメージと断片だけが強い刺激となって頭の中に残り続けました。

デカルトの有名なフレーズ「我思うゆえに我あり」を覆す現代哲学の指標であること。主観と客観の間である「間主観性」なんていう当時の最先端の知を芸術(セザンヌの絵画)に波及させたことなど、いろいろな見方ができますが、ここに書かれていたことは、私にとって空間への奥底深いイメージの提示だったように思います。 

スーパーポテトに入所した後、この本はまるで普段の仕事を遠くから照らす照明のように感じ始めました。それは、素材や色という現象が、デザインをする自分の上に必要以上にのしかかってきたからです。

80年代前半のスーパーポテトでは、錆びた鉄や、割ったばかりの石、土、木、などを用いて、自然の物質が持つ強さを、一生懸命、空間に引き寄せようとしていた時期でした。そこで、「眼と精神」に書かれていた、“身体と空間”がつながるという実感が湧いたのです。石や鉄というマテリアルと、空間体験する身体とのエロティックな感染関係とも言えるように思います。感染症への対応に追われる今日では、不謹慎に聞こえるかもしれませんが。 

一つ言えるのは、空間というのは、強く身体に訴えかけてくるものなのです。私はこれまでに、空間デザインがなし得る現象はここまで深いものなのかと実体験したことが数度あります。そのうちの一つは、南仏のプロヴァンスにあるル・トロネの修道院です。

訪れるきっかけとなったのが、今日紹介したいもう一冊の本「磯崎新の建築談義05 ル・トロネ修道院」(六耀社)です。

 
「磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院」磯崎新著  篠山紀信 写真(六耀社)

「磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院」磯崎新著 篠山紀信 写真(六耀社)

 

この本は私にとって、「眼と精神」の副読本と言えるもので、メルロ=ポンティの述べた内容に急速に接近することができました。「眼と精神」は南仏トロネにおいて記述されており、この論文が、この石造りのミニマルな修道院と根底において地続きであることを磯崎さんは提示しているのです。 

私がル・トロネ修道院を訪ねた日は、曇り空だったのですが、グレーの石の空間に光が差し込む様に圧倒されました。これまでに、背筋がゾクッとするほどの空間体験をしたのは、このル・トロネ、ピーター・ズントーによる野の礼拝堂、コルビュジエのラ・トゥーレット修道院、それと法隆寺。どれも宗教施設ばかりですね。身体でその魅力を感じられたのは、空間や建築のあり方が、自分の中に一通り経験として入っていて、理解できていたからだと思います。涙が出るほどに感動する空間というものがあるのです。

 
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「磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院」には、写真家・篠山紀信が3日間、取り憑かれたように撮ったという写真が数多く掲載されている。現地を訪れた際には、装飾を削ぎ落とした空間に差し込む光の美しさに息を飲んだという。

「磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院」には、写真家・篠山紀信が3日間、取り憑かれたように撮ったという写真が数多く掲載されている。現地を訪れた際には、装飾を削ぎ落とした空間に差し込む光の美しさに息を飲んだという。

 

 現在の商業インテリアの世界は、少し停滞しているように感じることがあります。しかし、いつの時代も小さなものが集まって、従来のものを押し出すようにして風景が変わるものです。

いま、次のフェーズを考える上でヒントになるのは、「物質性」ではないかと私は考えています。空間デザインに使われる建材は、ある境界を超えると物質として感じられることがある。

それは、デザイナーの誰もが夢見る瞬間であり、また一方で、人の頭で考えたものは、何千年、何万年もそこにあったモノには敵わないと痛感することもあります。現在はさまざまな素材が手に入りますが、木であれば突き板と無垢材では手触りや温かみが異なるし、金属でも同じです。見た目が同じだとしても、人間の身体というのは、目に見えない厚みさえも感知できるのではないか、と思ったことがあります。 

「眼と精神」は難解ですが、“身体とともにある空間”を感じ取る入り口になると思うので、副読本となる「磯崎新の建築談義 05 ル・トロネ修道院」と合わせ、この二冊を推薦します。とりわけ、インテリアデザインを学び始めた学生や20代の若い人に読んでほしいですね。今は、武蔵野美術大学出版局から美大生のために「眼と精神」の新訳が出ていますから、そちらから読み始めてもよいでしょう。

(飯島直樹・談)

 

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NAOKI IIJIMA

飯島直樹/インテリアデザイナー。1949年生まれ、1973年武蔵野美術大学卒業。スーパーポテトを経て飯島直樹デザイン室設立。2011-2016工学院大学建築学部教授。著書に「casuisutica Naoki Iijima Works 1985-2010 」(平凡社)がある。

http://www.iijima-design.com

 

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