Interview with SHUNSHUN
photography : shunshun
words : Reiji Yamakura/IDREIT
ペン一本で繊細な作品を描く、“素描家”を名乗るアーティストがいる。極細の線が重ならないように丁寧に描かれた作風がずっと頭の片隅に残っていたが、作家名がわからず諦めかけていたところ、つい先ごろ、旧知のフォトグラファーに縁のある方だったことがわかり、幸運にも取材をすることができた。5月末まで、大阪で個展を開催中だったという、素描家shunshunさんに話を聞いた。
— 重なり合わない水平線で抽象的なモチーフを描いた作品の残像しかなく、もう一度、作品を見たいと思っても探し出すことさえできず、ほぼ諦めていました。また、かつて建築設計をしていたという経歴を聞いて驚きました。どうして、絵の道に進まれたのですか。
建築を学んでいた学生時代には、コルビュジエやルイス・カーンが好きで、国内外を旅しては建物や風景を身近なボールペンでスケッチしていました。その後、8年間、建築設計の仕事をしていたのですが、2011年の東日本大震災をきっかけに、本当に自分がやりたいことは何だろう、と突然思い立ち、会社を飛び出すように退職しました。
その頃に友人らと訪れた富士山の麓で、その雄大な姿に励まされるように感じ、初めて富士山の絵を描きました。また、会社員時代も日記のように絵を描き続けていたのですが、退職後にあらためて、自分のやりたいことは絵ではないかと思い、それまで通っていた都内のカフェで小さな展示を行わせてもらいました。そこで、富士山の絵を見たお客さんの顔がパッと明るくなったのを見て、「自分の絵で人に何かを届けることができるのでは」と思えたことが絵を描いていく覚悟を決めたきっかけです。
— 画家になると決めて退社したわけではなかったのですね。抽象的な作品を、線だけで描くようになったのはいつ頃からでしょうか。
東京での会社員を辞めた後、2012年に広島に移住し、自然豊かな環境の中で風景などを描いていました。ある時、今もお付き合いのあるギャラリーオーナーから、「いい絵はいらないので、失敗した線や無意識の線が引けた時に、そういう作品を持ってきてください」と言われました。また、その方は、虫の生き様からいろいろ学ぶことがある、とも。
これまでいい絵を描こうとしてきたのに、いい絵はいらないってどういうことだろうと禅問答のような問いに戸惑いながら、ふと頭に浮かんだのが、子供の頃に見た蚕(カイコ)が桑の葉を食べるシーンでした。蚕は一方向に食べ進み、ひとしきり食べると元の位置に戻ってからまた同じ方向に食べ進むのです。そこで、蚕の気持ちになって描いてみようと思い、紙の端から点線を描き始め、一列描き終わったら二列目に戻って同じ方向に点線を引く。単純な作業を繰り返すうちに、その時の心と身体の状態が模様のように現れてくる気がしました。
— 無心で描くというところで、蚕がヒントになっていたのですね。
はい。そこで点線だけで描いた作品が「海/素描」(2013年)です。その次に、すべて直線だけで、線の塊を描いてみようとしたのが、今に続くシリーズの始まりです。直線とはいえ、フリーハンドだから曲がってしまうのですが、その密度の変化が、波のゆらぎのようにも見える。そうやって、線だけで描いた最初の作品が、「ao」(2014年)です。
その後も、どうしたら無意識の線が引けるかを考えつつ作業をしていると、完全な無意識ではありませんが、意識の深いところまで降りていけるような気がしました。また、線を引く時に、ゆっくりと呼吸をしながら引くのですが、呼吸を意識することで、これまで見えなかった何かが見えてくるように思い、そうやって描いた作品を「呼吸」と名付けました。白い部分には何も描いていないのですが、自分では、そこにも大切な何かが詰まっているように感じています。
—「呼吸」の額縁はとてもシンプルで美しいですね。
これは、広島の家具工房 SASIMONOKAGUTAKAHASHIの高橋雄二さんと出会い、それ以来ずっと特注でつくってもらっています。実は、図面を僕が書き、その上でもうちょっとここを細くといったやりとりをしながら、オイル仕上げのクリ材で製作してもらったのですが、彼の高い技術がなければ成立しないものだと思います。
— 額の図面まで自ら書いているとは思いませんでした! 絵の雰囲気と、繊細な額のデザインが合うわけですね。作品のテーマは毎回どのように選んでいるのですか。
僕の場合は、片方だけだとバランスが取れないようで、抽象的な作品と具象的なものを行ったり来たりしながら、時期によって気の向くままに描いています。
かつて、雨を描いてみようと描き始めたところ、外で雪が降ってきたことがありました。ずいぶん明るい雪で、その雪を見ながら線を引いているうちに、気持ちまで白くなってきて、その時の心象風景なのかもしれませんが、描き上げた時には雨ではないものが仕上がっていました。その作品は、日本の伝統色の名前から取って「白群」と名付けたのですが、こうした作品では、現象そのものや、自然界にある粒子のようなものを表現したいと思って描いています。
— これまでに影響を受けたものや考え方などはありますか。
生物学者・福岡伸一さんの「動的平衡」という概念に影響を受けていて、身体を通して線を引いていると、一本一本の線は一期一会であり、線の集積は「動的平衡」の断面なのではないかと感じています。また、線だけの作品を描くようになったしばらく後に、「針と溝 stylus&groove」(著:齋藤圭吾)という写真集で、レコードの溝と針をマクロ撮影した写真を見たのですが、平行に並んだ溝と針の関係が、自分の作品とペンの関係に似ているように感じました。僕がレコードに溝を刻むように風景を記録し、鑑賞する人は眼がレコード針の役割を果たしてその風景を再生する、そんなイメージです。作品を見る時の、そうした身体の役割は不思議で興味深いものだと感じます。
— 現在は、どのようなタイプの依頼が多いのでしょうか。
現在の活動は、個展での表現、本などの挿絵、この空間のための絵を描いて欲しいといったコミッションワークの三つが中心です。変わったものでは、旧知のファッションブランドのディレクターから声が掛かり、僕の絵をプリントしてファッションに使ってもらったことがあります。最近は、ホテルの壁面や自動車ショールームのラウンジに合わせた絵を描いて欲しいという依頼が増えつつあり、そうした新しいチャレンジにも積極的に取り組んでいきたいと思っています。
— 最後に、大阪のGULIGULIで展示していた大型作品「光海」について教えてください。
海といって思い浮かべる風景は人それぞれと思うのですが、僕は海を見ると、祈りの気持ちが誘発されるような気がしていて、また、太陽や月の光に照らされた海からは、癒しを感じます。この作品では、大きな100号サイズのキャンバスに、自分がかつて見た海や、その風景から励まされた記憶をもとに、そんな光のある海を描いてみたいと思い、描き始めたものです。海を描くことが多いのは、僕が生まれたのが海のすぐ近くで、自分の原風景の中に水平線があるからかもしれません。
この「光海」は、線だけで描かれていますが、実際に海を見た時に感じる、波動のようなやすらぎを線に宿せたらいいなと思っています。また、絵を見た人の自然界に対する感受性が開かれ、実際に海や自然を見たくなったり、旅をしたくなったりしたら嬉しいですね。
取材の終わりに「手で繰り返し線を引き続けるという行為は、機械に任せた方が断然合理的だけれど、あえて身体(アナログ)を通してデジタルへ近づこうとすればするほど、身体の神秘が浮き上がってくる」と、デジタル全盛の現代に、手で描くことの魅力を語ってくれた。